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地蔵まつり【約380年続く歴史】

地蔵まつり【約380年続く歴史】

地蔵まつりの起源は、疫病で亡くなった子どもを供養し、疫病から子どもを守るために地蔵の縁日にあたる旧暦7月24日に地蔵へ感謝を伝えるようになったのがはじまりだと言われています。

祭りの当日は、地区の地蔵を子どもたちが飾り付け、お供え物をして通りに祀ります。子どもたちは鉦(かね)の音に合わせて、人々にお賽銭を呼びかけます。そしてお賽銭をくれた人々に子ども達がお礼に飴を渡す光景があちこちで見られます。

「うと地蔵まつり」は「山鹿灯籠祭り」や「川尻精霊流し」と共に県内の三大夏祭りの一つに数えられていますが、三大夏祭りと呼ばれるようになったのは大正時代です。

明治32年(1899)の九州鉄道三角線の開通後、地蔵祭りには遠方からも見物客が訪れるようになり、祭りの規模が大きくなりました。大正11年(1922)の新聞で初めて「三大夏祭り」の見出しが確認できます。

「造りもん」は、宇土町の各商店が常連客や見物客を楽しませようと、明治時代に作り始めたと言われています。

大正時代には、各商店が競い合うように「造りもん」を作り、多い年には200基以上が作られました。

祭りを取材していた当時の新聞記者は「全部見て回るのに2日3日もかかる」と書いています。

昨年(2024年)の造りもんは33基。昔に比べれば数は少なくなりましたが、今でも祭りの名物として見物客を楽しませてくれています。


380年経って今も宇土の夏の風物詩として愛されているうと地蔵まつり。

ぜひお楽しみください。