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宇土城跡/城山公園(近世)(宇土市指定史跡)

小西行長が築き、加藤清正が改修した、江戸時代の城跡

キリシタン大名・小西行長が築城

現在の宇土城の本丸跡は公園として整備され、小西行長の銅像が立っています。


堺(大阪)の商家に生まれ、豊臣秀吉の家来となった小西行長。若い頃にキリスト教の洗礼を受けた「キリシタン大名」としても知られています。


1588(天正16)年に宇土24万石(宇土・益城・八代・天草)の領主に。宇土に本拠を置き、西岡台の城(中世宇土城)から移り、新たに城を築城しました。これが小西城とも呼ばれる中世宇土城です。ここで小西行長はさまざまな政策に取り組み、今日の宇土市街地の基礎をつくったと言われています。


小西行長は朝鮮出兵などに出兵し”智将”としての才覚を認められたものの、関ヶ原の戦いで西軍の主力として参加、敗戦。京都で斬首されました。


行長から加藤清正の時代へ

行長の弟、隼人が城代として守っていた宇土城ですが、加藤清正に攻められ、落城。行長の領地は加藤清正に引き継がれることになりました。


清正は自身の隠居所とするため、宇土城を大規模に改修。そのため、今見ることができる遺構は基本的に加藤時代のものです。


ただ、清正の死後に幕府の命令で宇土城は壊されることに。さらに天草島原の乱で徹底的に破壊され、かつての城をしのぶ遺構は残された石垣や発掘された瓦などごくわずかです


隠れた桜の名所としても人気

現在は公園として整備された宇土城跡。本丸跡は眺めのよい広場となっており、桜の時期には多くの人が訪れる、隠れた桜スポット。市民の憩いの場として愛されています。