STORY

うとの旅・歴史文化をめぐる旅

戦国時代の古城跡から、江戸時代の武家屋敷まで、歴史をたどる

歴史案内ボランティアの方が案内

宇土市は、海が近くにあり陸の要所にも近かったことから、古代から人が住み、栄えてきた土地です。そのため、多くの歴史的遺跡や文化財が見られます。


古くは縄文時代前期を代表する「轟貝塚」や、県内最大級の前方後円墳「天神山古墳」など。


時代が進むと、鎌倉時代の城跡や、小西行長が築いた宇土城跡、船着き場に架けられた石橋、江戸の武家屋敷も。


今回は、片道約4kmの間に点在する、7つのスポットをめぐる旅に出かけます。


ここでガイドを依頼したのが、宇土市の観光ボランティア


うと歴史観光案内人の会の、糀本(こうじもと)さん。


宇土市内の歴史遺産と遺跡の案内をしてくれる団体で、旅のコースの相談にも応じてくれます。


 


■うと歴史観光案内人の会


料金/最初の1時間は1,000円(10人まで。10人以上の場合は1人につき+100円)、1時間延長ごとに500円(10人以上の場合は1人につき+50円)


お問い合わせ/宇土市経済部商工観光課 TEL.0964-22-1111(内線612・613)


まずは、宇土駅で待ち合わせ。お互いの車に乗って、出発です!


宇土市民のふるさとの風景、船場橋

まず向かったのが宇土駅から1km離れた「船場橋」。


このあたり一帯は、もともと宇土の藩主であった小西行長が船着き場として整備した場所。


そこに架けられた石橋が「船場橋」です。


おそらく幕末につくられたもので、なだらかなカーブが美しい造形です。


物流の要所だった船場橋一帯は、宇土細川藩の蔵屋敷をはじめ、

さまざまな屋敷が建てられ活気に満ちていたと糀本さん。


船場橋の最大の特徴は、石橋の一部がピンクに近い明るい色をしていること。


この石の正体は、宇土市網津町付近からのみ産出される「馬門石」です。


古くは古墳内の石棺として、近畿地域で発見されているなど、全国的にも珍しい石でした。


 


実は、馬門石が使われた船場橋は熊本地震で大きな被害を受けました。


そこで橋全体を解体し、石を一つずつ組み直して復元したのだそう。


宇土市民の「ふるさとの風景」として、大切に残しておきたい文化財のひとつです。


県内最古の武家屋敷、高月邸

次は市街地を通り、熊本県内最古の武家屋敷、旧高月邸へ向かいます。


1km弱、車に乗って2分ほどで到着です。


宇土市中心街のそば、閑静な住宅街の一角に佇む旧高月邸。


1830(文政13)年に建てられた武家屋敷です。


このあたり一帯は「門内(もんない)」と呼ばれる地域。


武家と町人の居住地を分ける「門」の「内」といった意味です。


歴史ある町並みが残っており、武家屋敷も当たり前のように溶け込んでいます。


邸内に入ると当時の柱や壁がそのまま残る風情ある雰囲気。 写真映えもしそうです。


糀本さんのお話によると、台所にあたる部屋には今でも 2km以上離れた轟水源から引かれた轟泉水道の井戸が残されています。


江戸時代の武家屋敷と井戸が現存するのは全国的にみても歴史的価値が高いのだそう。


中世と近世の宇土城跡からの眺め

宇土の地を整備し、今の宇土市の基礎をつくった小西行長が築城したのが宇土城です。


その後、加藤清正に攻められ落城。


加藤清正が改修したものの、清正の死後に幕府の命令で壊されたうえ、

天草島原の乱で徹底的に破壊されたため、かつての城をしのぶ遺構は残された石垣など、ごくわずか。


城跡は公園として整備され、大きな小西行長像が建てられており、

現在は、桜の名所として市民の憩いの場となっているのだといいます。


続いて訪れたのが、小西行長の前に活躍した宇土氏・名和氏の城跡である「西岡台」。


鎌倉時代末期からは菊池氏系の宇土氏が、戦国時代には伯耆国(現在の鳥取県)出身の 名和氏が在城したという文献資料が残されています。


西岡台と呼ばれる小高い丘のほぼ全体が城の範囲と広いのが特徴で、

城の中心となる「千畳敷」には柱を立てるための穴が今でも見られます。


また、未完成の空堀で囲まれているのも特徴のひとつ。


歴史公園として復元され、当時を思わせる門が設置されています。


気持ちのよい風を受けながら、古城をしのびました。


西岡神宮で日本一大きなおみくじを引く

宇土城跡/西岡台から徒歩で数分降りたところにあるのが西岡神社。


アジサイが植えられた小道を通ると、到着です。


創建は1300年前と歴史のある神社で、七五三や初詣など宇土市民の暮らしを

見守り続けてきました。


資料館が併設されていて、西岡神社の貴重な品々のほか、

宇土地域の史跡や歴史も紹介されています。


展示されている甲冑は着付け体験もできるのだそう(要予約・1000円)


歴史を感じながら、神社にお参りをします。


ここでは、超巨大なおみくじに挑戦。


日本一の大きさという、高さは背丈くらい、重さは8.5kgもある大きな木の箱を振り


でた数字と同じおみくじをもらいます。


出たのは「小吉」。


願望は「他人の助けにあって思う様になります」とのこと。


轟水源と大太鼓収蔵館

西岡神社から車で4分程度。次に向かうのが轟水源です。


「轟」の名の通り、毎分4200リットルの膨大な湧水量を誇る水源です。


また、現役の上水道として最も古い歴史を持つのだそう。


江戸時代に造られた「轟泉(ごうせん)水道」がもとになっていて、

いまでも周辺80戸の生活用水として活用されています。


轟泉水道は、江戸時代のはじめ、宇土藩初代藩主細川行孝が陶器でつくった水道管で、宇土町まで水を届けたのが始まり。


その後100年ほど経つと陶器が破損したため、

宇土藩5代藩主細川興文が「馬門石」をくり抜いた水道管で改修。


現在、最古の上水道として使われているのは

このときのものが元となっています。


 


付近には野菜の無人販売所も!


のんびりゆったりの風景が広がっています。


轟水源から200m先にあるのが宇土市大太鼓収蔵館。


宇土市の各地域に根付いた、雨を祈る「雨乞い太鼓」を紹介する資料館です。


 


中には直径1mを超えるケヤキの大木をくり抜いた大太鼓など26基がずらり。


館長さんが案内をしてくれました。


 


もともと、雨乞い太鼓を叩く「雨乞い祭り」は宇土の各地域の伝統行事だったそう。


ただ、戦後の急激な社会の変動により次第に廃れてしまいます。


そんななか、椿原地区の住民が祭りを復活させることに。そこから他の地域でも太鼓復興の動きが始まり、修復が始まりました。


 


国重要有形文化財にも指定された大太鼓は、叩くことも可能。


館長さんの躍動感あふれる太鼓の演舞に対して、なかなか叩くのが難しい!


 


地域の方の強い思いで現代まで伝えられている、宇土の歴史や文化。


「うと歴史観光案内人の会」の糀本さんの案内でめぐった1日は、

「人の心に出会った旅」だったように思います。


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